順風満帆には
ゆかぬ人生 ゆえに
哲学を・1
白柳センセイの話をしよう
センセイは、哲学を専攻した哲学者だったと思うのだけれど、教師にもなって、日本の高校で倫理社会を教えていました。
さらに、教師をやりながらセンセイは、ゲームやネット依存に陥りそうな生徒を、独自の方法で救いだす活動もやってたんです。
独自の方法とは、こども嵐土へ、生徒たちを連れてやって来て、スマホやゲーム機をあずかった上で、自然を相手にした、さまざまな体験をさせるというものでした。
1年目、手探りでスタートしたその体験ツアー「こども嵐土めぐり」は、2年目には、前年の生徒たちの何名かが、個人的に島を訪れもして、いい感じで定着しそうになりましたよ。
もちろん、こども嵐土としても応援をしたし、多くの島人が惜しまずに手伝いました。
ワタシらは、いつもクールな笑顔のセンセイご自身のことと、「こども嵐土めぐり」についてを、詳しくうかがおうと取材を申し込んで、OKをもらってました。
ところが、です。その時点で困ったことが起きたんです。
白柳センセイは、活動を、中止せざるを得なくなったのです。
ゲーム障碍?
ゲームを、翌朝起きられなくなるまでやって、昼夜が逆転して不登校になったり、ゲーム機を取り上げられると暴力をふるう、そういった状態を、ゲーム障碍というそうで、一つのりっぱな疾病に分類されているそうで、日本国内には中高生のゲーム障碍者だけで93万人はいるそうで、え? 放ってはおけないよね? とワタシらだって思ったんだけど、センセイは、たとえわずかでも何とかしようとしたのでしょう。
重症者はもちろん専門医に任せます。でも、まだ深みに嵌まっていない、または回復期にある生徒を対象に、センセイは手を差しのべたようでした。
こども嵐土へ来る、その渡航費用は、センセイが立ち上げたNPOの助成金や寄付金を中心にまかなっていたようです。
今頃どうしているんだろうセンセイは。
口惜しい。
だからせめて、活動が中止になるまでの経緯を、ワタシらはここに記しておきたいと思うのです。
「こども嵐土めぐり」での体験
体験ツアー「こども嵐土めぐり」で来島した白柳センセイと生徒たちは、まず初めに、島人から、海での正しい泳ぎ方を教わっていました。
ちなみに、センセイの泳ぎはどうも、イマイチらしかったようですが。
生徒たちは次に、素もぐりで魚や貝をとる手順と、火おこしの方法を、島人から教わりました。
島人は、そのとき教えた生徒たちのことをふり返えると、今でもいいます、みんなスゴかったよ、体育で1をもらっている生徒にしろ、ほんとに素早く海水になじんだもんだよ、と。
こども嵐土の北部には、今も昔と変わらずに、カルスト洞穴がいくつも存在しています。
そこは、かの民族間の大戦時に(参照→ こども嵐土誕生の歴史・血の時代)、それぞれの部族の子どもらが、ひそんで生き延びた場所であり、そしてその後に、子どもら同士で、社会をつくっていくための拠点とした場所でもあります。
そんな洞穴で、生徒たちは数日間、幾つかのグループに分かれて寝起きして、魚をとり、火をおこし、じぶんたちの知恵と力だけで、協同して過ごすという体験をしました。
生徒たちはまた、沖へ出て、海獣とふれ合う体験もやりました。
海獣はクジラやシャチや、イルカにジュゴンにオットセイなどをさしますが、島人たちの計らいもあって、1年目も2年目も、生徒たちが出会ったのは御しやすいイルカとジュゴンでした。
ゲーム障碍を患ったひとの脳は、薬物やギャンブル依存者と同じく、前頭前野という理性をつかさどる部分に、機能の低下がみられるといいます。
そしてまた、ゲーム障碍者はあまりからだを動かさずに過ごすため、足の骨密度が、下がったりもするそうです。
身体への影響一つをとっても、とても怖いことなんでしょうね、仮想空間にはまり切るということは。
来島する前までは、センセイの生徒たちも仮想空間に魅せられていたはずです。
けれどもここ、こども嵐土の海では、仲間と一緒になって生徒たちは、海獣とふれ合いながら泳ぎました。怖い思いや苦しい思いを時にはすることがあっても、みんな心おきなく遊びました。
そういう新鮮な体験をしたことで、現実世界にこそ存在するんだ、バーチャル感あふれる、超絶リア充が、と生徒たちは知るにいたり、それぞれが、ひととしての脳内バランスを、たぶん取り戻せたのではなかったでしょうか。
約束の取材の日
さてその日は、白柳センセイにインタビューをお願いしてある日でした。
訊きたいことが山ほどありました。
沖で海獣と泳いだ後に、浜にもどって、生徒も島人も、みんなして休息している中で、センセイは取材を受けてくれることになっていました。
浜へはワタシらは、約束の時刻をめざして、あと少しで到着するところだったんですが、大きな声が、風にのって、浜の方角からひびいてきましたよ。
みんな若いから元気なんだなぁ。
少しうらやましくなりました。
そして実際に浜に到着して、そこでワタシらが、目にしたものは、思いがけない光景だったんです。
白柳センセイが突っ立っている、その眼前で、スーツ姿の男性と、タイトスカートにハイヒールを履いた女性が、声を張り上げてました。
男は怒鳴り声で。
女は泣き声をして。
男のほうはひどく巨漢で、立っているだけで砂地にめり込んでいきそうに見えるし、男女それぞれの革靴に、浜の砂が入って動きづらそうです。
あたりに、生徒は一人もいません。
島人が何人か、いざこざを遠巻きにしながらあたふたしています。
その一人に、近寄っていって事の次第をききました。
口角泡を飛ばしている男女は、K君という、一人の生徒の、保護者なのだと。
K君を追いかけて保護者夫妻は日本からやって来て、半時間ほど前に、センセイのもとにたどり着いたんだと。
そこでK君の父親は、ちょうど生徒が、沖から引き上げてくるのを待っているところだったセンセイに、訴えた。
息子に今回、持薬を、持たせそびれてしまった、それゆえ私どもは持参した、今すぐ薬を飲ませたいと。
それからまた、息子は発達障がいゆえにゲーム依存におちいっていた、だから薬は、欠かせないんだとも説明した。
母親のほうは、父親の横にいてスミマセン、スミマセンとお題目のようにくり返した。
センセイ凛として応対
白柳センセイは保護者の話をきくや、島人に耳打ちして指示を出し、沖からじきに上がってこようとしていた生徒たちを、急きょ別の浜から上がらせて、順次ねぐらであるカルスト洞穴へ、戻すようにと手配した。
特にK君へは、事が伝わらないようにと注意もした。K君のうちはスパルタ式で、叩かれることもあるときいていたから。
それから白柳センセイは、保護者夫妻に向き合っていった。
「K君は薬なしで、毎日しっかりやれてますんで、ご心配なく。僕にお任せください。ね、性格の歪みやアンバランス、そんなものは誰もが、ひとであれば持ち合わせていますんで。欠損のない人間は、いないんで、僕だって発達障碍、かもですよ。だからね、お父さんお母さん、お二人は島の観光でも、していってくださいよ。せっかくいらしたんだから」
父親は、コケにされたとでも思ったのか、声を大きくしてセンセイに言い返した、K君が服用してきた薬のその効果を、立て板に水のごとくに。
その興奮を、母親のほうは押しとどめようとしながらも結局は、涙声そのものが大きくなっていった。…
なるほどぉ、島人の話で分かりましたよ。先ほどワタシらが浜の手前できいた大声は、それだったんですね。
ハイハイハイハイ…
と、ふいにセンセイが、突拍子もなく尖った声を発しました。
びっくりしてワタシらは目を見張りました。
センセイは、ことばをつづけましたよ。
それはそれは、すばらしく高価な、薬なんでしょうがねえ、と。
そして夫妻にむけて、反論をセンセイは始めたのです。
「発達障碍ってことばは今や、金儲けのワードに、されてるんじゃないですか。
それで儲けてる、儲かってるやつがいるんでしょうきっと。ね。
なんでもカネカネ、カネだから今は。ゲームが子どもを、どれだけ壊すか分かっていても、だからそれは、未来を壊すことになるっていうのに広告バンバン打って買わせて、企業は儲かった儲かった規制なんか政府はしちゃいけませんよ、GDP上げてやってんだし、オンラインゲーム、みりゃ分かるでしょバリバリのエンターテイメント、まさに成長産業、業界あげて国をあげて拡張しなくっちゃ。え、なに、ゲーム障害? いやいやいやゲームのやり過ぎはダメですよって注意してるじゃないですか、業界が。タバコといっしょ、吸いすぎに注意しましょうっていってんのに守らずに肺ガンになる人間も、ゲーム障碍になっちゃうのも自己責任、個人の問題に帰するんですよ。なんたって、生産性アップで儲かることが至上命題グローバル化なんだから、原発は世界に誇れる安全対策、やったうえで稼働すりゃ安全で、事故、起きたら、そん時に考えましょうよ合理的に。拝金主義だからさ、な。さげすみと軽侮のことばだった拝金は、大昔の話、義は死んだろ。国家が、率先して追い求める目先の利よ。たれる嘘よヘイトよ下劣さよ…みんなして守りましょうよ。
ひとって、アハハ、おもしろい生き物ですよねえ。ハハァ…あ、いやいや、いやね、お父さんお母さん、K君には、薬なしで、ここでは乗り切ってもらいますんで。どうか信じてお任せください。
せっかくこども嵐土にいらしたんだから、お父さんお母さん、島めぐり、観光、してってくださいね。ではまた、あらためてお会いしましょう」
ゴキッと音が
一気にセンセイはまくし立てました。
保護者夫妻は小刻みに震えながらも、固まっていました。
ワタシらは、センセイのその口ぶりに衝撃を受けていました。
宣言し終わったセンセイは、保護者に対して一つ頭を下げて、そして踵を返しました。沖のほうを向きました。
と、その時でした。
センセイの背中をめがけて父親がつかみかかり、シャツをぐいっと引っ張りながら、待てッ、とセンセイを振り向かせようとしたらば、その足元が、革靴が、砂地にとられて、拍子に、100キロはあるんだろう全身が、ぐわんと前にかしぎ、ひゃああ、と母親のほうは悲鳴をあげつづけるが、山のような父親を、とどめられはせずに全体重が、センセイにのしかかった、あびせ倒しになった、その瞬間にゴキッッッ、と鈍い音がしたんです。
島人たちが走り寄りました。
巨大な父親を、センセイのからだの上からみんなしてどかしました。
センセイは、しかし倒れたままでした。
腕か、首をひねったのか、あるいは骨が折れたのか。
うぅうぅ、小さくうめきながら、センセイは起き上がろうとしなかったんです。
センセイはその後
白柳センセイは、こども嵐土の病院に運ばれました。
でも運悪く、頭を打ったようで、日本に帰国して検査を受けるため、転院することになりました。
K君の保護者夫妻は、謝罪のことばをまわりに吐きつづけました。
そして憔悴しきった顔をして、センセイの転院に付き添っていきました。
もちろん生徒たちは全員が、そくざに荷物をまとめて帰国しました。
「こども嵐土めぐり」はとん挫しました。
翌年になっても、開催されることはありませんでした。
白柳センセイの体調が思わしくないという理由で。いや、体調というよりも、頭のケガが要因で、センセイは記憶の一部を失ったという話がきこえてきました。
ことに乗じて、悪いことを言うひとはいるもんだろうけれど。NPO法人は解散して、勤めていた学校も辞めたのかもしれないし。
ウソかもしれないけれど、人柄も、ずいぶん変わってしまったようにききましたし。
ほんとうに、返す返すも残念な、不幸なことが起きてしまったんですよ。関係する全てのひとたちにとって残念な。
そしてワタシらには、さらに無念に思ったことが正直いうとあったのです。
実は、白柳センセイはもしかしたら、ハッポンではないかとワタシらは目星をつけていたのです。
島嶼歴史研究所のダイィ・ニコォン博士が、予言の解説の中で示されたハッポン、そのひとではないのかと。
なんといってもこども嵐土を、生徒の体験ツアーの場所に、択んでくれた時点ですごい縁をワタシらは感じていたし、こども嵐土めぐりを通しての、生徒たちへの指導や、K君の保護者へむけたエネルギーを、実感したからには、ワタシらの目星が確信にかわらないわけがなかったんです。
どうにかしてセンセイ本人に、ハッポンである事実を伝えたかった。
当人はだって、それに気づいていないのだから。たぶん驚くだろうけど、きっと理解、してくれるんじゃないか。ワタシらとの出会いが始まりなんだということを。
そういう希望がワタシらにはあったのですけれど。
無念だけど。仕方がない…
せめて今は、白柳センセイが日本のどこかで、元気にいらっしゃることを祈ろうと思っていますよ。