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成田さんから

子どもたちへのメッセージ

 館山の地で、ダイビングショップとスクールを営んでいる成田均さんは、幼いころから海に潜り、10代でダイビングの資格を取って、ダイバーになりました。

 今は“あわ財団”の理事長としても様々に仕事をされています。

 

 今回は、ワタシらの取材に対してうれしいことに、ご自身がダイバーの仕事に就かれた、その始まりのところを特に話してくださいました。

 しかも、市井の子どもたちに向けてのメッセージとして、ざっくばらんに語ってくださった。

 

──  おじさんはね、子どもの頃は、落ちこぼれだったんですよ。──

 

 え?
 第一声が落ちこぼれだったので、ワタシらはちょっと息をのんだのです。

成田均さんの落ちこぼれの話が映る空
アンカー 6

 成田さんは1947年、秋田県生まれで、父親に誘われて7歳から海に潜り始めた。

 しかしその父親を12歳で亡くしてからは、新聞配達や牛乳配達をして母親を支えた。

 といった過去のことは、きき及んでいたけれど、でも、落ちこぼれ…

───  なぜ落ちこぼれになったかって?
 それは勉強が嫌いになる、切っ掛けがあったからですよ。

 で、その切っ掛けというのは、先生の勉強の教え方が、おじさんに合わなかったからです。


 親にも言われた、もう少し勉強しろって。

 おじさんには他に遊びたいことがいっぱいあったんだけども、でも、友達はみんな予習、復習してるし、一生懸命やったやつはいい成績とってるし。周りの人も見る目が違ってくるし。

 いいだろうなと思うけどおじさんはね、勉強がなかなか解らない。

 なぜ解らなかったかというと、うちに帰って復習しなければいけないな、というのは分かった。

 で、ノートを取るんだ。鉛筆なめながら。

 方程式なんか、途中まで書いて、半分まで書き写さないうちに、先生が「…と言ったわけで、はい、34ページ開いて」って言って、黒板消すんだよ。

 だからおじさんは勉強やろうという気持ちがいつもね、途中で…。

 頭のいいやつはね、ちゃんと、解ったんだけど、おじさんは落ちこぼれだから。それで勉強がもう大っ嫌いになっちゃった。

 それで勉強しないと、いい高校にも入れないし、いい大学にも行けないし、いい会社にも入れないし、そうすると給料も安いし。
 それでおじさんは仕方なく水の中に潜る仕事になったんだよ。───

 成田さんはニコニコと話してくれました。

 そうなんです、ワタシらに話をきかせてくれたその場所へは、実際に、地元の子どもたちがしばしば集うんです。

 おとなたちも集うんです。


 海を見渡せて、心地よく風がそよぐ、天空テラス  と名付けられた場所なのです、そこは。

成田均さん達がつくった天空のテラス
アンカー 4

 この天空テラスのことは、あとの項で取り上げたいとワタシらは思っています。
 だから今は、成田さんのお話を記しましょう。

 ただし、勉強が嫌いで仕方なく、水に潜る仕事についたとおっしゃった部分は、ちょっと成田さんの謙遜かしらん、と思いましたよ。

 

 なぜって、高校時代から哲学書を、成田さんは読みふけったそうで、一つ一つ吟味しながら、何ごとも時間をかけて、進めるタイプだったのでしょうから。きっと子どものころから。

 

 

 学校の先生の、流れ作業のような教え方にこそ問題があったんだと思えますが、それはまた別の機会に考えます。

 

 成田さんに、話のつづきをききました。

 

───  でもね、面白いことがあった。

 同じ海に潜ってるんだけど、一回潜って、大体40分から50分なんだけど、おじさんはこれまでに1万8000本潜った。

 でね、気がついたことは、同じ海に潜っているのに、1本2本潜っただけでは見えないものが、10本20本、潜ったら、あれ? ここにこんなものがあるんだ、あそこにあんなものがあるんだ、と見えるようになってくる。

 10本20本では見えなかったものが100本、200本潜ると、ええっ? ここ、こんな形になってたの、と見えてくる。これが1000本2000本になると、いろんなものが、きこえてきたりする。


 だから、一つのことを一生懸命やってると、誰にも見えないもの、自分にも見えなかったものが見えたり、きこえたりしてくる。

 これが面白い。───

 恬淡と、成田さんは話されました。くり返しくり返しやっていった先におとずれる発見が、面白いんだと。
 てらいの無いお話でしたよ。

成田均さんのメッセージが映える空

 成田さんが、いま現在の心持ちになったのは、ご本人の切磋琢磨のほかに、主に二人の人物との、出会いがあったからではないでしょうか。


 10代の終わりに、成田さんが押しかけていき、その弟子にしてもらった、世界的な水中カメラマンであり、水中考古学者でもあった、大崎映晋(えいしん)さん。
 そして
 20代前半に、日本代表として成田さんが出場した、ブルーオリンピック(水中競技世界選手権大会 = 魚を取ったり水中ラリーを行う競技)。

 そこで初めて出会い、そののち 33年間、その人物の死、そのものも含めて付き合ってきた、ジャック・マイヨールさん。

 この二人との出会いがあったから。

 

───  子どもの時には、飯より好きなことを、自分がね、何だったら辛くなくて、ずっとやりつづけるとか、そういうものを、一生懸命探しなさい。

 ひとを批判している暇があったら、自分は何をやったらいいのか、自分だけで出来なかったら、誰と手を組んでどういう活動をしたらいいのか、といったことをやった方が、ずっと効率がいいかなぁと。

 ああだこうだ考えているよりも動き始めた方が。

 

 動いてやっている時に、いろんなものに気付いていくよね、たぶん。


 まあ、自分の本当にやりたいことが、見つかったひとはね、幸せだよね。───

 ワタシらは以上のように、成田さんから、子どもたちへのメッセージを聴かせてもらえてうれしかったです。


 この成田均さん個人を、辿っていくことで、日本の海についてを知っていけるんじゃないかと、ワタシらは思いましたよ。


 その日は、それから成田さんは、天空テラスにて、お昼寝をされました。
 

お昼寝する成田均さん
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