ホモ・デルフィナスの森
突然の知らせ
2001(平成13)年 12月23日未明、成田さんは電話のベルで起こされました。
それはパリから掛かった電話でした。
ジャックさんとの通訳を、してくれた関係者で、
「テレビのニュースが、いまジャック・マイヨールが死んだと報じている」…ときこえました。
頭が、真っ白になりました成田さんは。
それでもとにかく、師匠の大崎映晋さんには事を知らせて、仲間4人で、急いでイタリアへ飛びました。
縊死。
首を吊った。
…いったいどうして?
病院の、小さな霊安室に、本人は寝かされていました。
そばにいたのは、ジャックさんの友人の奥さん一人と、葬儀屋だけでした。
成田さんたち4人は、棺の中へ、日本の仲間から託されてきた思い出の写真や、ジャックさんが好きだった長崎のカステラなどを入れました。
それから、近くの町で買ってきた沢山の花で、ジャックさんのからだを包みました。
翌朝、火葬場へ出発する前にお別れのことばを述べたのは、成田さんでした。
「…しばしの別れです、さよならは言いません」
火葬場に着くと、そこにはテレビ局が2社と、新聞記者が数人と、フランス大使代理に、イタリアの国会議員ら40人くらいがいました。
この件はたちまち大きなニュースになって、世界中のひとがジャック・マイヨールを語り始めるのだろう、という空気でした。
それらの流れとは一切関わりなく、成田さんは居ようとしました。
独りだけで、考えていました。
ジャック・マイヨールは、ジャック・マイヨールであることに、疲れ切ってしまったのかと。
その考えのあと、成田さんには、次のように思えてきました。
ジャックが死んだのは、地球と人類と、それからもしかしたら、とりわけオレたち日本人を、諫めるためだったのではないか…
成田さんは、ジャックさんが以前に言っていたことを思い出したのです。
「日本人はすごくいい環境の中で育っている。
まず、周りが海に囲まれていて、色んなものにほとんど侵略されないできて、海の資源とか、水だとか、色んなものを豊富に摂れて。
やっぱり中東やアフリカや、土地が貧しいところはね、食べることもままならない。何かの神におすがりしないと、やってられないくらいに辛い。
そんな状況で生きてるひとたちが、いっぱいいる」
ふと、電話でのやり取りもよみがえりました。
つい2週間前に、ジャックさんから成田さんへ電話がかかったのでした。
「ナリタ、おまえに訊かれていたことがあったな、オレにとっての、神は何かと」
ああ、そうだった、訊いたんだった、ジャックにとっての神は何かと。
それはもう2、3年前のことになるんだが…
ジャック自身がオレの神は太陽だ、というんで、そりゃぁクサいよジャック、新興宗教でも岩とか木とか、太陽だとか、神については世界中でそんな言い方があふれてる、それと同じかよ、クサいんだよ。…
などという話をしたんだが、それへの返事を、死の2週間前に、ジャックは律儀にくれたんだ。
「いやもう、神については、実はだいぶ前からそれは分かっていたことでね、オレにとっての神は、母親なんだ」
そういったのだった、ジャックは。イエスに仏陀にアッラーやムハンマドじゃなくて、母親なんだと。
その母親のイメージには、恋人のゲルダが重なっていたのかもしれない。
それからもしかしたら、ジャックをホモ・デルフィナスへ導いた、イルカのクラウンの存在も、重なっていたんだろうか。
そしてその死の2週間前の電話で、ジャックは最後のことばをいったのだ。
「ナリタ、オレは人類の未来に失望した」
成田さんのホモ・デルフィナス
その後、2015(平成27)年に、成田さんの師匠、大崎映晋さんも鬼籍に入られました。
ジャックさんと大崎さん、二人は逝ってしまいました。
成田さんは独り、取り残されたのでしょうか。
いいえ。それはない。
成田さんには仲間がいます。
逝った二人の哲学を、成田さんは引きうけつつ、仲間と共に活動を始めたのです。
2017年9月に設立した「財団法人あわ」の活動内容は、多岐にわたってい
ます。
・農山漁村集落の産業振興と経済的安定をはかる活動
・生涯学習まちづくりを推進する活動
・自然体験・環境教育等を推進する活動
・自然環境の再生と保全をはかる活動 などなど
海を保全するために、森を含めた地域全体を、整備していくという活動なのですね。
そしてまた、ひとの暮らしや生き方そのものが、海の在りように、直結しているということを、ひとびとに気づいてもらえるよう、活動は成されるのですね。
成田さんの後ろ姿
成田さんは今は、穴を掘っています。
すでに400段の階段を頂上へとつなげて、天空テラスを設置しました。
次には、穴を掘ってその先へと道をつなげるそうです。仲間みんなで掘り進めています。
房総半島南部の、安房地域の館山に、一つのパラダイスをつくるために。
誰もがふっと訪れることができて、心身ともに癒されて、活力を取り戻してもらえる、そんな場所づくりを目指して。
ジャックさんは以前に、イルカたちのインスピレーションがあれば、地球はパラダイスに戻れるだろう、そう語っていたのですね。
成田さんが言うパラダイスも、たんに楽園という意味で、言ってはいないのでしょ。
ワタシらは思いましたよ、そのパラダイスは、ホモ・デルフィナスの森なのかなと。
あわの森から、あわの海をのぞむ
成田さん、今回は本当にいろんな事を教わりました。取材をさせてくださり、ありがとうございました。
帰り際でした、成田さんはワタシらを、ふいと呼び止めました。そして、とつとつと話してくれました。
そのことを最後に記しておきます。
──こうして草ぼうぼうのところにいて、少しずつ綺麗になっていくというか、自然も残しつつね、綺麗になっていくとね、何度も訪れたくなるような、自然空間をつくっているんだけど、そのつもりなんだが、それよりも、自分の気持ちの中が、パラダイス化していくよな、って気づいたね──
──だた、青年老いやすく、学成り難しだ。
色んなことをやりたい。だけど、たった一つの事をやろうとしても、なかなかその結論というか、明快な答えのある所には、たどり着けないよ。今やってる、穴を掘っているようなもんで。
穴が、どこに繋がるのかは、貫通したときのお楽しみ。
でね、穴を掘ってて、もう気持は焦るんだよ。やってることは間違いなく目標には向かってるんだろうけど、果たして、オレが生きてる間にね、そこに到達できるんだろうか、っていうような、常に不安を抱えながら実はやってるのよ──
──でも、子どもの時にやり残した遊びを、ここで、やろうと。
そう、遊びの中には実は本当に、真実というか、夢とか希望があるんじゃないかって、なんか漠然とオレは思ってるんで。
せっかく生まれて、生きてきたんだから、自分のために生きるんだ。まずは。誰のためでもなくて自分の楽しみのために生きる。そのことが、誰かの夢や希望に繋がるんであれば、それは一番すばらしいと、オレは思ってるね──